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やくざとは?/ ディック

[ 1076] やくざの仕方
[引用サイト]  http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/YAKUZA.html

いい機会なので、そこで見ておきなさいということになって、小1時間ぐらい見物していた(直接応対しなくても、聞く振りしないとやくざの人は気を悪くするのである)。
わりにやくざの人は来る。が、大抵は遠くの方で怒鳴っているか、面と向かって怒鳴っているかなので、今日のように観察できる機会はそう多くない。というわけで、よい機会であって、ゆっくり見物していた。
やくざの人も忙しいので、用もないのに来たりしない。やくざの人はお願いに来る。普通に実現できる「お願い」なら、わざわざ「やくざ」して来る必要はないので、やくざが来るのは、「無理なお願い」をするためである。
「お願い」の当事者は、やくざの人の友人だったり内縁の人だったりする。当事者は「お願い」する立場なので、それだけの「弱味」があって攻撃力が落ちる。やくざの人が仮に「当事者」であっても、そのときは別のやくざの人が攻撃を担当する。もちろん「当事者」もいっしょにやってくる。そうでないとまた「お願い」にならないのである。当事者はいっしょにきて、しかしあまりしゃべらない。やくざの人は「当事者」を代弁し、時折話の流れの中で、「当事者」に話をふったりするが、あくまでイニシアティブはやくざの人がにぎらなくてはならない。
やくざの人は、用向きを言う。しかし「用向き」は「無理なお願い」であるので、それが「無理なお願い」であることは真っ先に認める。当事者に非があるときは、先にそのすべてを認めてしまう。そうすることで応対者の反撃をあらかじめ封じる。なおかつ「非を認める」ことは、正しくて筋の通ったことを言うことであるので、応対者もそれを止めることができない。つまりしゃべりまくれる。これでまず話の主導権を握るのである。
「用向き」は「無理なお願い」であるので、応対者は「それは、これこれこういう理由でできません」と答える。やくざの人の台本通りである。ここで一発、やくざの人は怒鳴る。怒鳴らないと、いかに格好がそれっぽくても、やくざの人である感じがしないからである。やくざの人の戦略としては、まず応対者に「私はやくざの人である」ということを分ってもらわなくてはならない。どれほどわずかでも、応対者に恐がってもらわなくてはならないのである。
怒鳴られて怒鳴り返す訳にはいかないので、応対者はまた理をつくして説明する。説明するしかないのである。やくざの人はそれを聞く。やくざの人はプロなので、ちゃんと応対者がするくらいの説明は知っているのだが、この場では知らないことにしておかなくてはならないので、ちゃんと聞くのである。聞いて「おまえのいうのは、これこれこういうことやろ」と、応対者の説明をまとめる。この「まとめ」は、やくざの人の力量がでるところで、100%正解のまとめをしてしまう人もいれば、50%くらいしか的を得てない場合もある。多分いちばん効果的なのは80〜90%くらい、概ね正解なのだが違うところもある、しかしだいたい合ってるのでそれをわざわざ指摘するには及ばないだろう、という「まとめ」であろう。応対者は「そうです、その通りです」と言わざるを得ない。
こうして「説明」→「まとめ」がしばし繰り返される。その後、突然「おかしいやないけ!おまえ、さっき、こう言うたやないか!」とやくざの人は来るのである。「こう言うた」内容は、応対者が説明した言葉だけでなく、当然やくざの人がまとめた「まとめ」も含まれる。「まとめ」に若干おかしいところがあったとしても、それを指摘せずに先に進んでしまえば、応対者もそれを承認したことになり、承認したことなら「言ったも同然」なのである。もっというと、応対者が説明した事項でも、やくざの人の「まとめ」に含まれてなければ、それは「言ったことにならない」のである。「おれがこれこれこう言うたとき、お前『そうです』言うたやないけ」なのである。
やくざの人は論理的な矛盾や単なる言い間違いを逃さない。逃さないだけでなく、しつこく追及する。「『つもり』?お前、いま『つもり』言うたな。おう、確かに聞いたぞ。『つもり』って、何え?お前はそういう『つもり』かもわからんけど、そんなもん、俺には全然わからんやないけ。『つもり』いうのはな、『実際はそうでないのに、そうであるかのような気持ち』ちゅうことや。辞書引いてみ、ボケ。大の男がわざわざ時間さいて、大事な話しに来てるちゅうのに、お前『つもり』言うのけ!?そんないいかげんな、曖昧なこという奴に、大事な話ができるけ!」
と、「つもり」だけで30分くらいやるのである。その間、本題に話をもどそうとしても、がんとして受け付けない。「『つもり』が先じゃ。1段がないのに2段があるけ!人間、何でコミュニケーションすんねん?言葉やろ!その言葉ないがしろにして、何で話が先進むんじゃ!」である。
やくざの人も怒鳴ってばっかりではない。効果が逓減するし、第一本人がつかれる。怒鳴り続けたかと思うと、すっと声を押えやわらかく話し出す。「わしら、お願いに来てんにゃ。そんなけんもほろろにやられたら、どうしようもないやんか。わしらかて、何もええ事してるとは思てへん。悪いもんは悪い。払ってないんやから、ダメなのもようわかる。どないしようもないのはよう分るんや。そやけど、こっちかて困ってるんや。払いとうても払えんときが、人間あるやろ。そやけど、規則ちゅうもんがある。それは守らなあかんわな。そやから、何かええ知恵ないか思もて、こないして相談に来てるんや。わしらよう知らんしわからんけど、お宅ら専門家やろ。なんかええ手あったら教えてえな」
ここで、また同じ説明をすると「お前、わしの話、何聞いとったんじゃ!」と怒鳴る。仮に「何かええ手」があったとしても、「何でそれを先言わへんねん!さっきからダメやダメやの一点張りやったんとちゃうんか!わし、そんなもん、お前から説明されてへんぞ。そやろ、お前、言うてへんやろ!」と再び怒鳴るのである。
さっきの「つもり」だと、とにかく「『つもり』と言ってごめんなさい」と言うまで追及する。いまのだと「すいません、言ってませんでした」というのを応対者が認めるまでやる。本題と何の関係がなくても、どんなささいなことでも、とにかく応対者にあやまらせるのが、やくざの人の大事な戦略である。
どんなことでもあやまると、少しであっても態度が引いてしまう。隙ができる。それがやくざの人の狙いである。
本題→言葉尻を捉えて脱線→応対者が謝る→本題→言葉尻を捉えて脱線→応対者が謝る→本題……と、やくざの人は、ジクザグに進撃する。一度応対者が謝ると、やくざの人はほんのわずかでも陣地を増やしたことになり、逆に応対者はなくしたことになる。やくざの人は勢いを得、応対者は逆に勢いを失う。多分、人間と言うのは、そんなに数多く謝れないようになっているのかもしれない。5、6回も謝ると、「もうどうにでもして」みたいな感じになる。
普通なら言わないのであるが、「もうどうにでもして」状態であるので、つい上役の名前を言ってしまうのである。これでとりあえず1面をクリアー。やくざの人は次のステージへ。
で、上役が出てきても、やくざの人はおなじ攻撃をする。応対者にすでに謝らしている分だけ、最初から1ステップ進んでいる。

 

[ 1077] ヤクザ - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%82%B6

ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業的に犯罪活動に従事し、収入を得ているものを言う。この偏倚(へんい)集団を特徴づける要因の一つに集団内部の「親分子分」の結合がある。ちなみに「広辞苑」では片仮名表記ではなく、平仮名表記の「やくざ」である。(出典:広辞苑)
「やくざ」研究の古典的名著とされる岩井弘融の『病理集団の構造』(以下『岩井』と略)の序説で「親分乾分(岩井は故意に、乾としている)」の関係は民俗学(柳田國男他)や社会学(川島武宜他)において説明されるところのオヤカタ・コカタの関係と共通の社会的基盤を持つと説明している。
太平洋戦争直後に来日したニューヨーク・ポストの特派員ダレル・ベリガンは、その著作で有名な『やくざの社会』の中で「日本の家族は与太者の集まりであり、家族の長は与太者の長である」という文から始まる、日本社会の内部構造についての報告をまとめている。また、かつて横浜の塚越一家に所属した右翼活動家の野村秋介は、「やくざ」について説明する際に「やくざとは職業ではなく」、「実業家、ジャーナリスト、政治家にもやくざは存在する」と発言したが(出典:『暴力団新法』)これも個人間の?がりとして絶対的権威(親分)と追随者(子分)の関係が広く社会で見られる点を示唆するものである。
ただし、その上で「やくざ」を特徴づけている別の内部要因として、集団の共通目的、成立の社会的条件、存続のための経済的活動、社会的価値基準から逸脱した副次文化等がある。ジャーナリストの朝倉喬司は現代の制度的空間や価値基準との関連において「暴力団」と呼ばれるとしている(出典:『ヤクザ』)。
ヤクザ文化は他国では類を見ないもので珍しさもあってか、現在では「ヤクザ」という言葉が通じる国も多い。テレビゲームでも、アメリカ製の『グランド・セフト・オートシリーズ』に日本のマフィアが「ヤクザ」の名称で登場していたり、日本製の『龍が如く』が海外で『Yakuza』というタイトルで販売されていたりするといった例がある。また、北野武監督のヤクザ映画も海外で人気が高く、ヤクザの知名度を上げる一つの要因になっている。アメリカンコミック『X-メン』シリーズには、日本人でヤクザの親分という設定を持つキャラクター、シルバー・サムライが登場する。
博徒の起源は平安時代で、任?の徒“?客”の起源は室町時代とされ、「渡世人」とも呼ばれた。的屋は「香具師」とも称する。江戸時代、征夷大将軍によって賭博は重犯罪として厳しく取り締まられていたが、江戸中期以降には常習的に賭博を行う博徒の集団が現れ、現代に至っている。江戸のヤクザと京都・大坂など上方のヤクザは区別される。一方、的屋は「非人身分」とされていた。江戸時代には寺社の境内などで賭博を催し収入(いわゆるテラ銭)を得ていた。都市部だけでなく地方にも存在する。今現在に至るまで「社会の枠組の外」の人々である。
また、ヤクザよりもやや広い、より合法的な性格を持った「顔役」と呼ばれる人もいた。いわゆる?風に富んだ「男」としてある種畏敬を持って迎えられ、その人のためならば命をも惜しまぬという子分を多数従え、地域社会に隠然とした力を持ち、中には公然と代議士になる者もいた。昭和初期のある新聞には「親分議員列伝」として、近代ヤクザの鼻祖とされる吉田磯吉や小泉元首相の祖父である小泉又次郎などの名が上げられている。吉田磯吉や、その系列に属する初期の山口組は、古典的な意味でのヤクザではなかったが、それゆえに旧来の伝統的な稼業にとらわれることなく、いち早く現代的な暴力団に変貌していったといえる。
「ヤクザ」という言葉の語源ははっきりしていないが、賭博用語が語源であるとする説が通説となっている。花札を使った三枚(またはおいちょかぶ)という博奕では、3枚札を引いて合計値の一の位の大小を競う。8・9の目が出れば17となり、一般的な常識人にとっては“7”の場合「もう一枚めくる」事はしないのだが、投機的で射幸心が強く、且つ非常識な輩は そこで「更に一枚を引く」。果たして結果、“3”を引いてしまい、最悪最低の得点である“0(8+9+3=0)”となってしまう。この様な行動パターンや人生設計が「極道モノ(ヤクザ)」の生き様そのものであり象徴的なのである。 8・9・3を続けて読んだ「ヤクザ」が「役にたたないもの」を意味するようになり、それが転じて博徒集団のことを指すようになったとする。
他に、歌舞伎役者の派手な格好を真似た無法者(傾(かぶ)き者)のことを「役者のような」と言っていたことから「ヤクシャ」が訛って「ヤクザ」になったという説、「役戯れ」(やく ざれ)から来たという説、「やくさむ者」からという説、更には昔、喧嘩などの仲裁を行う者を「役座」と呼んだことに由来するという説(飯干晃一)もある。また、儒教において数字の8・9・3は悪数(縁起の悪い数字)としていることから、そこから由来するのではないかとの説もある。
1884年の「大刈込み」(賭博犯処分規則により賭博犯すなわち博徒は裁判なしで10年の懲役という弾圧下に置かれる)への対策として博徒の多くは土木建築請負の看板を上げ「組」を名乗るようになった(鶴見騒擾事件より)。これ以前は屋号(例えば清水次郎長は「ヤマチョウ」、会津小鉄の一門は「大瓢箪」)を用いた。一家を名称とするのは、明確ではないが明治・大正期に多く使われている。的屋の影響と推察されるが明確ではないし内務省の掛かりがつけた可能性もある。ちなみに明治の『東海遊?伝』では次郎長を漢語で「大哥」と呼んでいるが中国でも目上の人や親分には「哥」を附ける。日本語のイメージでは親分ではなく「兄貴」あたりであろう。
「男はつらいよ」 - テレビドラマ、映画シリーズ。主人公の寅次郎は的屋(てきや)。主題歌では、妹に対して自分がフーテンであることを「ヤクザな兄貴」と詫びている(暴力団員ではない)。
「ブラック・レイン」‐映画。マイケル・ダグラス演じるアメリカの不良刑事が日本のヤクザの抗争に巻き込まれ、大阪を奔走するハードボイルド・アクション。
「たけしの挑戦状」 - ファミリーコンピュータのゲーム。ビートたけしが制作したもので主人公の会社の隣の映画館、「かもめ座」で「やくざ対やくざ」という映画が公開されている。

 

[ 1078] 元やくざに学んだ交渉術 - 組長と呼ばれる愛隣保育園長 - 楽天ブログ(Blog)
[引用サイト]  http://plaza.rakuten.co.jp/airinhoikuen/diary/200706020001/

私は昭和61年頃から平成8年頃まで、損保代理店を副業としていた。今と違い、事故処理については代理店に負うところが大きかった。だから、自動車事故だけでも、わずか10何年の代理店生活で、20件以上は関わった。この経験は、いい勉強になった。したくてもできない経験だからだ。 平成の初め頃、熊本市内のやばい系のタクシーと私のお客さんの車が、事故を起こした。状況は、お客さんのほうが不利だった。 32,3歳の私は、相手が難しいタクシー会社だがここでびびっては負けと、張り切りすぎて、交渉に臨んだ。元やくざと思える交渉係と話し合いになっだか、言葉の行き違いから、私はかっとなり、怒鳴りあいになった。 気まずい沈黙の後、しばらくすると、元やくざと思えるその交渉係は、にやっと笑って、こう言った。 「坂本君といったかな。交渉はねえ、かっとなったほうが負けなんだよ。まず相手の言い分をじっくり聞く。そして、相手が言ってはならない言葉を言ったとき、その言葉尻を捕らえ一気に畳み込んでいくのだよ。」 「君は、まあしかし、一生懸命だね。そこは認めるよ。」 結局、交渉は妥当なところで落ち着き、損保会社としても満足の行く結果となった。 この経験は、後々、ものすごく生きてくることになった。 それは、中途半端に権限を持つ人間に限って、言ってはならないことを言うということである。だから、その言葉を聴いたら、すかさずその言葉尻を捕らえて、一気に畳み込んでいけば相手を圧倒できるのである。そういう経験をその後数回経験することになる。 その最大のものは、長女の高校入試のときだろう。以前の日記で書いたが、中学校側が、長女に私立進学を諦めさせようとさまざまな圧力をかけたため、それに厳重抗議して、長女の希望をかなえさせることになったことだ。 厳重抗議というより、私の一方的恫喝と咆哮、といったがいいだろう。私はこのときほど、激昂したことはない。それは電話してきた相手が、言ってはならないことを言ったためである。 なんと言ったのか。 「坂本さん、長女さんのことであんまりもめると、後に続く、弟さんや妹さんの進学にも影響が出ないとも限りませんか。」 脅迫である。言葉は柔らかいが脅迫である。脅迫というのは、こういう言い方の方が、効くのである。つまり、この人間は、脅迫の経験者ということになる。 私の回答。(標準語に修復) 「お前なあ、もう一度言ってみろ。お前、自分が言った言葉の意味わかってるのか。それは脅迫だぞ。お前今までそうやって、俺みたいに抗議した保護者を屈服させてきたな。そうでなきゃ、そういう言葉は簡単には出てこないものだ。俺はお前を許さない。今からそっち行くから首洗って待ってろ。お前なあ、吐いたつばは飲み込めんのだぞ。」 私のものすごい剣幕に、相手は、電話口でもしきりに謝っていたが、私は許さず、会見場でも、この話を三回蒸し返して、そのつど謝らせた。徹底的に屈服させたのだ。私が怖かったのだろう。一人の私に対して、5人くらいで待っていた。 この手の人間は徹底的にたたき伏せておかないと、同じことをしでかすのだ。本人のためにならない。私がまともなかたぎでいい人だったから、これくらいですんだのだ。もし私が執念深い宅八郎だったら、個人的に潰すまで行ったろう。だが、私は明るいいい人なのだ。根にもたない南方系のいい人なのだ。そういうことにしているので許してやった。 きっと、これをいい経験にして、出世していくだろう。がんばってほしいものだ。 だが、この人間以外にも、中途半端に権限を持つ者が、弱いものいじめよろしく、相手をやんわり脅迫するということがその後何回かあったのだ。まったく別の問題でだ。 先日も、先輩の不動産契約でそんなことがあったのだ。本契約もしていないのに、断ろうとしたら違約金を取ろうとしたのだ。まったくルール違反もいいところだ。紹介した手前、恥をかかされたのは私だから、出向いて、前言を撤回させた。 おそらく、今までも、相手の弱い立場に付け込み、そうやって、迷う客を脅迫して来たのだ。そして、すべて相手を屈服させてきたのだ。そうでないと、こういう脅迫めいた言葉は自然には出てこないものだ。 私が手際よく相手を理詰めに追い詰める様子を、先輩は後から誉めてくださった。そう言ってくださるのはうれしいが、こんな馬鹿業者を信じて安易に紹介したのが悔しくて、別の懇意な業者を紹介し、納得いく契約を結果的に結んでいただくことになった。 交渉ごとは、まず相手の言うことをじっくり聞くことから始まる、これだけは鉄則であるようだ。
それから、社会人の喧嘩は法律でやるんで、法律を学んでください。漫画などでもわかりやすい入門書いっぱいあります。かえって役立ちます。
それから、自動車事故でのトラブルについて思うのですが、世間体を気にすれば負けます。表ざたにしたくないという心理です振り込み詐欺もここに付け込んだものです。
解決しない解決もあるのです。もめごとで、お互いが死ぬまで一歩も譲らず、本当にお互い死んでしまったとしたら。

 

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