目黒とは?/ ディック
[ 1724] 目黒駅 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E9%A7%85
|
島式ホーム1面2線の地下駅。東急目黒線と東京メトロ南北線および都営地下鉄三田線の間で相互直通運転を行なっているため、3路線がホームを共用する共同使用駅となっている。駅は東急電鉄が管轄している。 自動券売機は東急電鉄・東京メトロ・東京都交通局の3種類のものが設置されていて、目的地に応じた券売機を利用する必要がある。いずれの社局の端末もPASMOまたはSuicaへのチャージは行える。また、PASMOの新規発行は駅業務を所轄している東急が行っている。定期券(磁気・PASMO)の発行も同様に東急が行っている。 南北線・三田線の駅の中で一番若い駅番号がついているが、現行のダイヤで当駅始発の南北線・三田線の電車は設定されていない。一方、目黒線には当駅始発の電車が設定されている。 武蔵小杉方にはシーサスポイントがあり、目黒線上り列車のうちの目黒止まりの各駅停車は、このポイントを利用して下りホームである1番線に到着する。続いて上りホーム2番線に到着する後続の上り急行列車へ接続した後、下りの各駅停車武蔵小杉行きとして発車する。下りの奥沢行最終列車は上りホーム2番線から発車し、このポイントを使用する。 権之助坂 - 駅西口側目黒通りの坂の名称で一方通行上下線に分かれている(ただし下り線は上大崎交差点から目黒駅東口ロータリー出口まで相互通行)。下り線は江戸時代に目黒の名主であった菅沼権之助によって開かれた。幕府の意向に反したとの冤罪で処刑されたが、慕う庶民がその名を付けて今に至っている。上り線"新坂"は当初存在しなかったが、増えた交通量などに対応するため1965年(昭和40年)以後に住宅地を開いて開通した。 権之助坂商店街 - 駅西口前周辺から権之助坂一帯の加盟数300店舗の商店街で、権之助坂商店街振興組合として8つの商店会から成立している。 行人坂 - 江戸時代のこと権之助坂が出来る前は、江戸府内に入るルートとして大鳥神社から太鼓橋を渡り行人坂の途中大円寺を右に見ながら江戸府内へ向かう主道であった。余りの急坂で大八車を引く人々に悪名を覇せた。"権之助坂"が開通して庶民の苦しみは取り除かれた。坂の途中に江戸三大大火のひとつ、明和9年(1772年)明和の大火(行人坂の火事)の大円寺がある。 目黒雅叙園 - 和風テイストのホテル、結婚式場、宿泊、会議、宴会、レストラン(和・洋・中)、保存建築(登録有形文化財)などがある。映画『千と千尋の神隠し』の湯屋などを思わせる造りが目を引く。行人坂を下って徒歩で駅から5・6分程度。 お七の井 - 雅叙園入り口付近は、大円寺の元塔頭(庵とも云われている)跡であったらしい。お七の井戸は、火刑に処された八百屋お七の供養のため、西運(吉三郎)が水垢離をしたと伝えられる井戸跡。 太鼓鰻 - 目黒駅から行人坂を下り目黒川に掛かる太鼓橋の東詰めに江戸の昔から有る鰻料理屋。メニューにある"うなだれ丼"とは、何度も鰻を浸け焼きして蒲焼の旨味がたくさん入ったタレをご飯にかけた丼である。 日出中学校・高等学校 - 旧:日出女子学園中学校・高等学校、芸能コースが設置されていて、在学生・卒業生に多くの芸能人がいる。 パイオニア本社 - 西口から徒歩2分、目黒通り下り線の権之助坂川にパイオニア直営ショップ(旧展示ロビー)が有り、正面受付ロビーは、目黒通り上り線の新坂側に有る。両方の坂に面してビルが貫いている。 日の丸自動車学校 - 駅西口から徒歩6分、山手線から教習コースが望める。黒いビルに大きな目立つ赤い球がめり込んでいる。 東京都庭園美術館・東京都白金迎賓館・国立科学博物館付属自然教育園 - 3施設は隣接している。駅東口から400メートル、豪族"白金長者"の砦(屋敷)跡、特に教育園内には土塁や堀跡等々の遺構が見られる。駅東口から300メートル程行くと港区となる。 駅名は目黒駅であるが、駅の所在地は品川区となっている。これと同じようなケースは品川駅(港区)、ふじみ野駅(富士見市)、厚木駅(海老名市)、四条畷駅(大東市)などがある。このようなことになったのは、江戸五色不動の一つとされる目黒不動尊やその門前町として栄えた目黒地区への最寄り駅として開設したためで、行政上の区分によったのではないことによる。本来は目黒川沿いに鉄道を建設する予定だったが、蒸気機関車の煙や振動が農作物に悪影響を与えると心配した地元農民が反対運動を起こし、山の上を通るように計画変更させたために駅所在地が現在の場所になった。 このため、目黒駅周辺では「目黒のさんま」にちなんで、品川区と目黒区がそれぞれ「さんままつり」を開催する事態となっている。 |