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元町とは?/ ディック

[ 1607] 元町駅 (兵庫県) - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%94%BA%E9%A7%85_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)

元町駅 (もとまちえき)は、兵庫県神戸市中央区元町高架通にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・阪神電気鉄道・神戸高速鉄道の駅。
阪神電気鉄道と神戸高速鉄道は当駅で相互直通運転を行っており、同一駅を共用している。阪神本線は当駅が終点となる。当駅以西は神戸高速鉄道東西線である。
地上のJR元町駅と地下の阪神・神戸高速鉄道の元町駅は通路で直接結ばれてはいるが、連絡改札も乗継連絡扱いも無く、事実上別の駅である。ただし、神戸駅以西から三宮経由での連絡運輸に関しては当駅での乗継も認める特例がある。
かつて阪神電鉄では同社の神戸市におけるターミナル駅の一つであることを強調するためか、「神戸元町駅」と呼んでいたこともあった。
毎年12月に開催される神戸ルミナリエへは当駅が最寄駅となる(旧居留地・大丸前駅も最寄ではあるが、当駅の方が利用者は多い)。
JR西日本の駅についてはアーバンネットワークエリアに属している。また、三ノ宮・神戸・新長田駅と同様、山陽新幹線新神戸駅との連絡扱いをしている。
当駅に停車しない特急・新快速・ならびに駅の営業時間帯の貨物列車は、1・4番線(のりば)を通過していく。停車列車は後述の列車を除き2・3番線(のりば)に入るため、1・4番線(のりば)は基本的にロープで封鎖されている。
かつては、中央の内側線上下線にはさまれた島式1面2線のホームが設置され、列車線には上下線それぞれに相対式ホームが1面ずつ設置されるという混合式だったが、1960年代に現在の形式に改造された(上り外側線のホームは神戸高速鉄道建設をはじめとする市街地再開発のためすぐに撤去された一方、下り外側線のホームはJRになってから撤去されたが骨組みの一部は東出口南側などに現在も残っている)。
島式ホーム1面2線の地下駅で、改札口は東西2ヶ所にある。共同使用駅で駅管理は阪神側が担当しており、駅自体には神戸高速鉄道の駅であるという案内はない(神戸高速鉄道の末端駅の特徴。これは阪神自体が神戸高速鉄道線の第二種鉄道事業者の一つであるためであることと、阪急側との区別のためと考えられる)。
隣の三宮駅では上り列車の乗降ホームが分離されている関係上、直通特急などの場合、各駅停車への乗り換えは当駅で行うよう、車掌による案内放送が入る。
かつては阪神の大半の普通列車は当駅で折り返されていたが(大半が2番線から折り返しで発車)、現在は深夜を除き高速神戸駅(一部は山陽電鉄東須磨駅)まで運転されている。
なお阪神元町〜阪神三宮間は阪神本線(阪神電鉄の管轄区間)であるが、並行する神戸高速の花隈駅〜阪急三宮駅との整合を図るため特定運賃が適用されており、初乗り運賃は神戸高速と同じ120円。また、西元町駅以西からの場合、神戸高速=阪神相互の連絡運賃は、当駅ではなく阪神三宮駅が境界となる(なお、春日野道駅以東からの場合は当駅が境界)。
神戸随一の繁華街に位置し、百貨店大丸神戸店の最寄駅である。周囲は東京・銀座、大阪・心斎橋と並ぶ老舗商店街として全国的に有名な元町通商店街、日本の三大中華街の一つである南京町、明治以来の伝統を伝え神戸でもハイセンスな街とされる旧居留地、そして最も神戸らしい通りであるトアロードなどで、年間を通して賑わっている。
隣接する神戸駅へは元町高架下商店街(モトコー)、三ノ宮駅へはピアザ神戸の両高架下商店街が延びており、ほぼ雨に当たらずに通行することが可能である(駅近辺のみ若干高架下商店街の無い所がある)。
JRの駅北側には、神戸高速鉄道東西線(阪急神戸線方面)が地上に出るトンネル坑口がある。かつては山陽電気鉄道西代駅東方にも地上区間があったが、同駅付近が地下化された現在、神戸高速鉄道では唯一の地上区間となっている。
7 平野経由神戸駅前方面行(三宮・市民福祉交流センター前方面行はトアロードを通るため、このバス停を経由しない)
1874年(明治7年)5月11日に大阪・神戸間へ官営鉄道(現在の東海道本線)が営業を開始した際、途中に神崎(現:尼崎)・西ノ宮(現:西宮)・住吉・三ノ宮の4駅が設置された(ただし神崎と住吉は20日遅れての開業)が、そのうち三ノ宮駅は現在地より西より、今の元町駅の付近に設けられていた。
このときは地上に線路が敷設されており、名前の通り三宮神社に近い位置に設けられた三ノ宮駅は、相対式ホームが曲線上にあるだけの中間駅となっていた。
その後、昭和に入ると神戸市の都市計画に絡み、市街を分断する形になっていた鉄道省線(国鉄線)を地下線とする案が市から出された。鉄道省は費用の問題もあり、これを高架線に変更して1929年(昭和4年)3月から工事に取り掛かり、都市計画との絡みで1931年(昭和6年)10月10日の完成と共に現在地へ駅が移転された。
しかし地元からは、旧地も市街地となっていたことから、旧:三ノ宮駅の位置に再び駅を設置してほしいと請願が出された。そのため1934年(昭和9年)7月20日、吹田駅と山陽本線須磨駅の間が電化されて省線電車の運転が開始された際、塚本駅・立花駅・甲子園口駅・六甲道駅と共に当地に駅が設けられ、神戸市の原型となった1874年(明治7年)に神戸村・二つ茶屋村・走水村が合併して出来た時の町名「元町」に因み、元町駅と命名された。
開業時は高架線上にやはり相対式ホームが設けられていたが、1937年(昭和12年)に同駅を挟む区間が複々線化され、現行形態になった。
もともと阪神の本線は開業以来、神戸市街の区間を併用軌道としており、1905年(明治38年)4月の開業当初は三宮、1912年(大正元年)11月からはそこから南へ下った滝道へ神戸駅というターミナル駅を設置し、そこで市電と接続をとっていた。
しかしその後、阪神急行電鉄(阪急)によって神戸線が1920年(大正9年)7月に開業し、また上記したように鉄道省東海道本線でも阪神間において電車の運転が計画されると、併用軌道を残したままでは将来的に、スピードと輸送力の両面でそれらに対抗できなくなる事が明白となったため、高架ないし地下線によってそれを解消しようという動きが強まった。そして1933年(昭和8年)6月に地下線を完成させ、三宮の地下に新たな同社のターミナルとなる「神戸駅」が設置された。
だが阪急も丁度その頃、従来市街から外れた上筒井の地におかれていた神戸線の神戸ターミナルを、高架線にて三宮に乗り入れさせることについて市と協議がまとまり、さっそく工事に取り掛かろうとしていたため、阪神では更なる対抗策を画策した。そして第二阪神線として、既存の本線よりも速達運転の可能な路線の敷設計画を立てると共に、従来の阪神と同じように併用軌道で兵庫駅まで乗り入れを行っていた山陽電気鉄道が別線で湊川への延伸を計画していたため、それと接続する形で三宮から湊川に至る区間の免許を1934年(昭和9年)3月に収得した。
そして免許収得区間のうち、とりあえず古くから市街地となっていた元町までを突貫で建設し、当面の阪急への対抗とすることにした。工事は阪急の三宮乗り入れ開業に間に合わせるように急ピッチで進められ、結局阪急より半月早い1936年(昭和11年)3月に開業、これに伴いそれまでの神戸駅も三宮駅に改称された。湊川への延伸が予定されていたため、元町駅は当初より中間駅構造が採用され、その一部は留置線として活用された。
湊川方面への延伸と第二阪神線の敷設は、結局資金と戦争による資材の不足もあって実現せず、元町は戦後もしばらく阪神の神戸側終端として機能したが、神戸市電を代替する目的も兼ねて神戸高速鉄道の計画が持ち上がると、阪神では湊川への延伸免許を失効させると共にそれへの乗り入れを決定、1968年(昭和43年)4月の東西線開業で同線への直通、更にはそれを介しての山陽電気鉄道本線との相互直通運転が開始された。

 

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