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キッスとは?/ ディック

[ 894] Kiss キッス
[引用サイト]  http://rock.princess.cc/rock/kiss.html

しばらく練習を重ねた3人だったが、リード・ギターが欲しいということで、同年オーディションを行った。
この頃ロック界は、グラムロックとパンクの端境期で、アメリカではアリス・クーパーやニューヨーク・ドールズなど視覚的にも見栄えのするアーチスト達が続々とデビューを飾っていたため、当然彼らもメイクなどをしていた。
しかし、ライブでも今ひとつの反応しか得られなかった彼らは、もっと強烈なインパクトのあるメイクにしようと思いついた。
70年代半ばと言えば、もう同じようなハードロック・バンドはゴロゴロいて、スーパーギタリスト(マイケル・シェンカーやエディ・ヴァン・ヘイレンのような)や、よっぽど個性的なヴォーカリスト(スティーブン・タイラーやフレディ・マーキュリーのような)でもメンバーにいない限り、彼らのようなストレートなサウンドのバンドが売れることは、まず無かったであろう。
そういう意味でも、この派手なメイクは、売れるために必要不可欠なものであったのだ。ちなみにあのメイクは日本の歌舞伎をヒントにしているらしい。
こうして、1974年にレコード・デビューを果たした彼らだったが、ライブでの好評さに対して、このデビュー盤も次のセカンド・アルバムもセールス的にはあまりパッとしなかった。
だが、75年にリリースしたサード・アルバムからシングル・カットした「ロックンロール・オールナイト」が突然デトロイトで売れ出した。
これに気を良くした彼らは、急遽デトロイトでライブ・レコーディングをし、2枚組の名盤「地獄の狂獣/キッス・アライブ」を発表。これが一気に全米でブレイク!全米9位とプラチナ・ディスク獲得という大ヒットを記録した。
これで波にのった彼らは翌76年、今度はスタジオ・レコーディングでも、アリス・クーパーを育てた名プロデューサー、ボブ・エズリンを迎え、効果音やストリングスなどを随所に配した、とてつもなくスケールの大きい名盤を作ってしまった。これが、彼らの代表曲ともなる“デトロイト・ロック・シティ”を含む「地獄の軍団」だ。
しかし、実はこのアルバムの製作にあたって、メンバー間に亀裂を生じさせる事件が起きていた。アルバムのジャケットなどにはクレジットされていないのだが、このアルバムにはギターにスタジオ・ミュージシャンが起用されていて、1曲はそのギタリストがギター・ソロまで弾いてしまっていたのだ。これではリード・ギタリストであるエースの立場がない。
バンド自体はこの後も飛ぶ鳥の勢いで売れ続け、出すアルバムすべてがプラチナ・ディスクという、とてつもない快進撃をつづけていたが、かねてより心配されていたメンバー間の確執が激しくなり、4人のソロ・アルバム・リリースという形で表面化。その後、突然ディスコ・ブームにのってシングル「ラヴィン・ユー・ベイビー」が大ヒットしたものの、アルバムではすでにソロ・アルバムの延長のような感じになっていった。
この後もしばらくは、ちょうどやって来たメタル・ブームの後押しもあって、好調なアルバム・セールスを記録していくが、91年になりドラムのエリックが心臓の悪性腫瘍のため急死してしまうというアクシデントに見舞われた。
また、95年にはMTVのアンプラグド・ライブに、4人のメンバーとオリジナルメンバーのピーターとエースまでが参加した。ところが、そこでの好評さに気をよくしたオリジナル・メンバーの4人は、96年になんと例のメイクと共に再結成を果たし、ツアーまで始めてしまったのだ。
ストレートで単純な曲調(良い意味で)だからこそ、曲芸さながらのパフォーマンスをする余裕も生まれたわけで、視覚と聴覚双方からの刺激ですべてのファンを陶酔させた。
また、彼らの生み出す曲は、ノリだけでなく、どれもメロディーの良さが光っている。特に初期の曲は覚えやすいギター・リフと流れるようなギターソロのフレーズで名曲が多い。むろんこれは、ポールとエースの力によるところが大きいのだが・・・。
エース・フレーリーはギタリストとしては、速弾きでもスゴテクでもないので、名プレイヤーとして話題になることは少ないが、個人的には昔からかなり評価しているギタリストだ。
実際、ちょっとギターの弾ける人ならけっこう簡単にコピーできるし、どうやって弾いているのかわからないようなテクは一切使っていないのだが、彼の弾くフレーズはとても個性的で豊富なアイデアに満ち、いつも新鮮なのだ。音も綺麗で、ビブラートやハマリングオン、プリングオフといった基本テクも実に繊細に表現している。いつも速弾きや凄テクに憧れていた自分にとって、エースのプレイはかなりの衝撃だった。
それからもう1つ、彼らのストレートなサウンドを飽きさせないものにする要因に、全員がリードをとれるヴォーカルがある。まあエースはお世辞にも上手いとは言えないが、違う声質という意味では、ピーター(こちらは上手い)のシャガレ声と共に、時々新鮮さを感じさせてくれる。ポールとジーンはよく耳を澄まさないと聞き分けられないが、ライブでは、あっちで唄ったり、こっちで唄ったりするのでとても楽しい。
おそらくロック史上でも5本の指に入るライブの名盤が、このキッスの出世作「地獄の狂獣/キッス・ライブ」だ。
まずジャケットを見てもらいたいのだが、これは彼らのライブ・ステージそのままの雰囲気をうまく1枚の写真に収めている。実際のライブでも、ジーンはステージ左サイドで、コウモリのような羽を広げ、時には長い舌から血のり風の赤い液体(何だろう?)をダラダラ流しながら、時には口から火を吹きながら、黙々と演奏を続ける。1番重量級のコスチュームなためか、動き自体は鈍い・・・。逆にポールは身軽さを生かし、唄っている時以外は常に所狭しとステージ上を駆けめぐる。
かわいそうなのはピーターで、ステージ後ろの両サイドから常にドライアイスか炎が出ていて、その冷気と熱さ(暑いを通り越して熱い)は観客席にまでが伝わるぐらいだから、そうとう寒かったり熱かったりして体にこたえることだろう〜(^_^; ライブ中もこの写真の通り、ほとんど煙の中にあってその存在を確認することはできない。唯一独特のハスキー・ヴォイスが時々聞こえるとき、その存在を知らしめます。
このアルバムには、そういった生の雰囲気そのままが十分に伝わるようなミキシングがほどこされ、聞いているだけでもステージ上で大暴れしている彼らが目に浮かぶ。このあたりは、ツェッペリンも手がけた名プロデューサー、エディー・クレイマーの手腕によるものだろうか・・・。
このアルバムを皮切りに、彼らが実質分裂し、揃ってソロ・アルバムをリリースするまでの間に出したものは、全てプラチナディスクという快進撃をつづけるのである。
76年にリリースされた彼らの5枚目のアルバム。ライブでは絶賛されながらも、スタジオ・レコーディングでは今ひとつパッとしなかった彼らは、アリス・クーパーを育てた名プロデューサーのボブ・エズリンを起用し、それまでのアルバムとは比較にならないほどスケールの大きなサウンドで、大成功を収めた。
どの曲にも効果音やストリングスなどが巧みにちりばめられ、彼ら本来のストレートな曲調に深みが増した。また、曲も素晴らしく、どの曲をとってもシングル・カットできそうな良い曲だ。実際、シングル・カットされた7.「狂気の叫び」8.「ベス」1.「デトロイト・トック・シティ」はどれも大ヒットしている。
8.は珍しくピーターが唄い、全米7位まで上昇した。1.のとても長いラジオ・ドラマ風のイントロ部もかなり話題になった。途中に出てくる鼻歌の「ロックンロール・オールナイト」はかなり笑える。
また、この1.の曲中のギター・ソロには感動!素晴らしいハモりだ!!こんなに素晴らしいギタリストがいるにも関わらず、このアルバムでは2曲にスタジオ・ミュージシャンのディック・ワグナー(g)を起用しているのだから、エースが怒るのも無理はない。
そのうちの1つ、6.「スウィート・ペイン」ではギター・ソロまでそのディックが弾いているということだ。この結果、エースと他のメンバーの間に深い溝が生まれてしまい、後に分裂という結末を迎えてしまう。

 

[ 895] 接吻 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A5%E5%90%BB

この項目では愛情表現としての行為について記述しています。栗本薫の同名の小説については接吻 (栗本薫)をご覧ください。
西洋においては、唇で触れる場所により、その意図するところもまた変わってくる。状況により変化するが、以下に代表的な例を示す。
キスの一種であるディープキス(フレンチ・キス)は、唇を触れ合うだけでなく、互いに舌を相手の口腔内に挿入、舌を絡めあう、濃厚なもの(唇を触れ合うだけのものは、これと区別してソフトキスと呼ばれる)。「フレンチ・キス」とはイギリスから見て「フランス式のオープンな」と揶揄してつけられた。日本ではフレンチ・キスをライト・キスのことだとする誤解があるが、これは日本とその他の国との間の、フランスに対するイメージの相違に由来する[1]。
スラブ系の人々は男性同士でも親愛の情を示すために互いに相手の頬にキスをする。ラテン系・ゲルマン系の人々には、すぐ隣接する文化圏でありながら、それは異様に思えるというし、ラテン系の人々は恋人たちであれば、特に音を立ててキスするなど、様々なバリエーションがある。
首などにつく医学名『吸引性皮下出血』(いわゆる内出血)はキスマークとも呼ばれ、前夜に性的行為をした示唆と見られることがある。
「キス」という言葉が入ってきたのは明治以降であり、それが「接吻」と和訳されたのが明治20年の頃(訳語そのものは文化13年の『ズーフ・ハルマ』に遡る)で、西洋と違って日本文化上にはキスを日常的に行うという習慣は元からは存在せず[要出典]、現代においてもこうした傾向が続いており、西洋のように街中で至るところでキスをしている姿を見ることは少ないという。
日本が文明開化を迎えて近代と呼ばれる時代になる以前には、挨拶のキス、人前で愛情を表すキスというような種類のキスは「人前で恥」という考えもあって存在しなかった。日本では元来、キスは、単なる口唇の接触としての行為よりもより性行為と直結したものであった。江戸時代から一般庶民も裏では頻繁に行っていた。当時は「口吸い(くちすい)」、動詞としては「口吸う」と呼ばれていた。他に「口口」とか、江戸後期には口二つで「呂」等と呼ばれた例もあるが、「口吸う」がもっとも古く、平安時代に遡る。郭言葉では「おさしみ」とも言い、これはそれが二人で刺身を食べる様に似ている、ということらしい。九州地方では「あまくち」と言ったらしく、『ズーフ・ハルマ』の該当項目に訳語として挙げられている。
時代が下るとともに、テレビや映画、音楽などといった大衆文化、ならびに文学や芸術の分野における取り扱いが増えてゆくとともに、特に恋人の関係にある者同士での『キス』がとりたてて珍しいものではなくなっていった。
また、セックスよりキスのほうをより重視する男女が多く、特に女性にそうした傾向が強い、との調査結果もある。この(女性のほうにこうした傾向が強いという)結果について日本の教育者の一人である村瀬幸浩は、まず男女間で求める快感に相異があり、瞳を合わせながら顔を近づけるという面でキスのほうが精神的な親密度を高く持つとして、肉体的な快楽をより求める男性に対して、女性は触れ合うときの一体感や安心感をより求めるからである、との考え方を示している。[2]
近年では、中高生の年代でも彼氏、彼女の関係にある者同士、すなわち恋人同士でのキスに対する容認意識は高くなっており、日本の中高生にとってキスはもはや日常的なもの、あたりまえのものとなっている、との調査結果も示されている。[3]
同様に、近年のある調査のもとで、大学生の年代におけるキスの経験率にはさほどの変化がなかった一方で、中高生の年代におけるキスの経験率には大きな上昇があるということが、それぞれ確認されている。[4]
現代にあっては、舌を用いて行う『ディープキス』(単に略して『ディープ』ともいう)の語も広く膾炙し、『生まれて初めてのキス』を表す『ファースト・キス』という和製英語などが生まれた。
また唇同士の接触(接吻)のみならず、唇を何らかのものに接触させるという行為を一般的に指す『チュウ(ちゅう、チュー)』という、擬音をもとにした俗語も生まれ、若者を中心に幅広く用いられるようになった。なお、接吻の擬態語としては江戸時代にすでに「ちうちう」という表現を見ることができる。
インドのミュージカル映画では、キスシーンを直接描写することは認められておらず、男女がぎりぎりまで顔を近づけても決してキスしない。役者が突如大量に出現し踊るなどの抽象的な表現で接吻したことを表現する。
2007年4月26日には、アメリカ合衆国の俳優リチャード・ギアが、ニューデリーで催されたエイズ撲滅キャンペーンの式典に出席した際に現地の女優シルパ・シェティにキスを行い、これをもって『公衆の面前での猥褻行為』として裁判所により逮捕状が出されるという事件が起きた。結果としては最高裁判所によって差し止められたが、彼のキスに抵抗しなかったとされた女性側も召喚命令を受ける始末となった。
2005年、カナダの15歳の少女が、同級生のボーイフレンドの少年とのキスが原因で死亡する事故があった。これは、少女がピーナッツアレルギーであるのを知らずに、少年がその日の朝にトーストにピーナッツバターを塗って食べ、そのままキスをしたことが原因だと判明している。

 

[ 896] キッス - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B9

この項目ではロックバンドのキッスについて記述しています。その他のキス、キッスについてはキスをご覧ください。
これを解消するために独自研究は載せないを確認した上で、ある情報の根拠だけではなく解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください(テンプレート)。
KISS(キッス)は、1973年1月に結成したニューヨーク出身のアメリカ合衆国のロックバンド。1970年代中期を代表するアメリカンヘヴィメタルバンドとして知られている。ヴィジュアル系バンドの原点の一つとも言われる。その後の音楽界に与えた影響は大きく、憧れとしているアーティストも多い。
WICKED LESTERを解散させた2人は、新バンドのメンバーを募集する。まずはドラマーとしてピーター・クリスが加入、数回のオーディションの末にリードギタリストとしてエース・フレーリーが加入し、1973年にKISSが結成された。最初は"Fuck"というバンド名を考えていたらしいが、さすがにそれは止めたようだ。またバンド名の別の候補の中には"RAINBOW"というものもあった。この頃から、他のバンドとの差別化を図るためにメンバー全員でメイクをしていた。当初はただの白塗りであったが、やがて現在の形に定着する。ジーンはとあるサーカス団員から火吹きを教わり、ライブのパフォーマンスとして取り入れた(同年の年末ライブにて火吹きを失敗し、自らの髪を燃やしてしまい、新聞で取り上げられたという逸話が存在する)。ピーターは一時期、ドラムセット破壊もしていた。メジャーデビュー契約先は当時無名の新社だったカサブランカに決定、意気込んでレコーディング作業が行われる。
しかし、同時期からバンド方針の確執も起こっていた。日本においては1970年代後半を代表するバンドとしてエアロスミス、クイーンと共に「ミュージック・ライフ」誌などで特集が組まれ大人気を獲得した。そして、ソロアルバム製作のために暫くの活動休止を宣言する。
アメリカ本国でのUNMASKED TOURは以前ほどの勢いは全く見られず、失敗。主要マーケットであるアメリカと日本での人気は、完全に下火へ向かっていた。しかし、オーストラリアとブラジル、ヨーロッパでは逆に大ヒットを記録する。
1982年、よりヘヴィメタル感を増したアルバム"Creatures Of The Night"(暗黒の神話)発売。このアルバムのジャケット写真と収録曲の『I Love It Loud(勇士の叫び)』のPV、同年発売の日本とオーストラリア限定ベスト盤Kiss Killers(キッス・キラーズ)にはエースの姿はあるが、レコーディングには一切関わっておらず、エースはジャケット写真を撮影した直後に脱退していた。大半の曲は、スタジオメンバーとして起用したメンバーの一人であるヴィニー・ヴィンセント(この頃はヴィンセント・キュサーノと名乗っていた)がリードギターを担当している。ヴィニーの腕はメンバーに認められてはいたが、彼は正式メンバーにはされず、あくまでエースの代役としてツアーに参加した。作詞作曲やレコーディングなどで貢献度が高かったヴィニーだが、彼の存在はジーンとポールを大いに悩ませる事となる。一方の宣伝効果は虚しく、アルバムの売り上げは低かった。
翌年の1983年、エースの脱退が公に報じられ、ヴィニーが2代目リードギタリストとして正式に加入。アメリカ本国や日本での人気が低迷していた中、反対に人気が最絶頂だったブラジルのリオ公演にて、歴代最大の観客動員数である13万人を記録した。LAメタルブームに乗って製作したアルバム"Lick It Up"(地獄の回想)発売。 心機一転を計るために、今までのメイクを止め素顔を初めてさらした。しかし、協調性の無い性格と人間関係の縺れからヴィニーが解雇される。だが、後任が決まらない事やツアーの関係から、再度雇用する事となる。
だが、この悲劇を乗り越えエリック・シンガー(元ブラック・サバスのドラマーであり、ポールのソロツアーメンバーでもあった)が3代目ドラマーとして加入し、"Revenge"は完成を迎え、翌1992年に発売。数年振りに、ビルボードにランクインする。
この頃になると、1970年代からのファンたちから「オリジナルメンバーの再結成は無いのか」と問われるようになる。だが、雑誌で「そのつもりはない」とコメントしたり、あるテレビ局から100万ドルでオリジナルメンバーでの出演を依頼されるも即座に断ったりと、事実上オリジナルメンバーでの再結成は無いと思われた。
2006年、ファンが200人集まり、ロック殿堂博物館前でKISSのロック殿堂入を要求するデモが行われる。十分な資格と功績のあるKISSが殿堂に招かれないことに不満らしく、ボードを掲げて30分の抗議活動を行なった。殿堂博物館によれば、こうしたデモは初めてのことだという。
同年7月27日、カルフォルニア公演当日のリハーサル中に、ポールの心拍数が突如通常の2倍に上がってしまい病院に搬送される。だが、この日のライブは代役を起用せず、ポールを除く3人で決行した(ポール不在のライブは初であり、KISS史上最大のハプニングライブとなった)。ポールは、「この借りはいつか必ず返すよ」とコメントを残した。
CATMAN(ピーター・クリス、エリック・シンガー、エディー・キャノン)/猫の怪人という設定。両腕の鋭い爪が武器。1998年にファンタジーコミック化した際は、敵として登場。 余談ではあるが、パンダやタヌキと誤認されるケースが多い。
デビュー当時からメンバー全員が顔面白塗りの奇抜なメイクをしていることで有名だった。特に日本の初期のヘヴィメタルファッションに多大な影響を与えており、キッスがなければ聖飢魔IIや、X JAPAN以降のヴィジュアル系バンドは存在しなかったとも言われる。
当初のバンドのコンセプトは「アメリカ版ビートルズ」であり、メンバー各々(ヴィニー・ヴィンセント、マーク・セント・ジョンは除く)にリードヴォーカル曲がある。ただし、ヴィニーはデモ段階の一部の楽曲ではリードヴォーカルを取っていた。
邦題によく「地獄」と付く事でも有名。2ndアルバム「Hotter Than Hell」に最初から「地獄のさけび」という日本語のタイトルが付けられていたことがきっかけとなったのか、後に初期の作品が日本においてまとめて発売された際に、「地獄」とは何の関連もない原題のアルバムにまで「地獄の…」という邦題が付けられることとなった。ことステージにおけるジーン・シモンズの過激なパフォーマンス(口から火を噴く、血に似たものを演奏中に突如吐き出す、あるいはワイヤーアクションによって宙を舞う)の鮮烈さも相俟って、ややもすると的を射た意訳であると解釈される場合もあるが、しかしジーンが上述の自伝の中で述べている限りではステージで行われる数々のパフォーマンスはあくまでも「ショウにおけるアトラクション」という位置づけにあるようだ。
代表曲「デトロイト・ロック・シティ」に象徴されるように特にデトロイトで絶大な人気を持つが、バンド自体はニューヨークで結成されており、デトロイト出身ではない。同じく代表曲「I Love It Loud」の最初のメロディは日本でも馴染みが深く、浦和レッズのサポーターによるチャント「ウォリアー」の原曲となっている。また全日本プロレスなどに参戦したプロレスラー、スティーブ・ウィリアムスの入場テーマ曲でもある。
週刊少年マガジンにて連載されていた魁!!クロマティ高校にはKISSのそのままのキャラクター(通称四天王)が登場していた。
ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、ヴィニー・ヴィンセント(1983年に一度クビになるが、ツアー等の都合上84年まで在籍)、エリック・カー
この「キッス」は、音楽に関連した書きかけ項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。

 

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