貞夫とは?/ ディック
[ 1233] 植草貞夫 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E8%8D%89%E8%B2%9E%E5%A4%AB
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1955年に早稲田大学卒業後朝日放送入社。同期に山内久司と澤田隆治と槇洋介らがいる。朝日放送時代、全国高等学校野球選手権大会の実況中継で数々の名言を残している。特に決勝戦は1972年(ミュンヘンオリンピックの民放共同制作体(現・ジャパンコンソーシアム)の実況で出張したため出演できず)を除けば、1988年まで16年連続で決勝実況を担当した。 朝日放送を1992年に定年退職後も、朝日放送専属キャスターとして1998年まで高校野球の実況を担当していた。その後岐阜放送などでも高校野球の実況を務めた。 現在、サンテレビ「植草貞夫のゴルフ交遊録」で阪神タイガースの選手(OBを含む)らとゴルフのラウンドをしながら、アナウンサーの経験から生かしたさまざまなインタビューを行っている。また、2007年10月1日から、ラジオ関西でABC以外初となる自身の番組「植草貞夫の青い空・白い雲」が18時から19時に放送される。 なお、長男である植草結樹は長崎放送→テレビ大阪、三男である植草朋樹はRKB毎日放送→テレビ東京のアナウンサーとしてそれぞれ活躍中。二男である植草裕樹は植草貞夫事務所・アノンシスト企画の取締役および、株式会社UFP(「植草貞夫のオンラインショップ」を、楽天市場・ビッダーズ・Yahooで出店)の代表である。 「これで腕が痛いのか?ホームラン!お医者さん-無理するなよ、はい、わかりました。その答えがホームラン!怪物ドカベンホームイン!」第61回大会 準々決勝浪商(大阪)vs比叡山(滋賀)その前に自打球を当てるも痛みを全く感じさせない特大ホームランを打ったドカベン香川に対してあえて“怪物”と称した。 「第64回を迎えました夏の甲子園。幾多の名投手・大投手が、この完全試合という記録に挑んできましたが、誰一人その記録を達成した選手はいません」:第64回大会 1回戦・佐賀商(佐賀)VS木造(青森)※完全試合達成間近の佐賀商業・新谷博に対して。 「ノーヒットノーラン目前、しばらくはマウンド上の杉内(俊哉。現福岡ソフトバンクホークス)に注目したいと思います。お許し願いたいと思います。」:第80回記念大会 1回戦・鹿児島実業(鹿児島)VS八戸工大一高(青森) といった様々な名言を残し、高校野球ファンの支持を集めた、言わば杉本清の高校野球の実況アナ版である。彼が44年間のなかで実況できなかった大物選手といえば江川卓と松坂大輔ぐらいである。 また、名言ではないが松井秀喜が5打席連続敬遠された星稜VS明徳義塾戦も彼がテレビ実況を担当し、ともすれば松井ばかりに注目が集まる中、解説としてコンビを組んだ松岡英孝(前北陽高校監督、当時)と共に、ベンチの指示でこのような戦術を取ったであろう、明徳義塾バッテリーの気持ちを慮った「勝負はしません」という実況を行なった。 第80回大会3回戦(14日目)・智辯学園和歌山高等学校vs豊田大谷高等学校戦の試合を以て実況を引退し、その時「残念ながら今日は見ることは出来ませんでしたが"青い空・白い雲"を私の心の中にしまって44年間の実況を終了したいと思います。ありがとうございました」というコメントを残した。自ら、この試合(というよりもその大会で最後に実況を担当する試合)を「野球アナウンサーとしての決勝戦」と位置づけていたという。 朝日放送がプロ野球では阪神タイガースの試合を多く放送したことから、阪神タイガース戦に欠かせないアナウンサーの一人としても有名であった。1973年10月22日に甲子園球場で行われた、「勝った方が優勝」という阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のシーズン最終戦でラジオの実況を担当したが、阪神の惨敗ぶりに7回あたりから放送席にまで暴徒と化した観衆がものを投げ込んだりするようになり(植草によるとほうきまで飛んできたとのこと)、周囲の心あるファンが毛布などでバリケードを作ってくれたおかげでかろうじて放送できたエピソードがある。その後、長らく阪神が優勝から遠ざかった時代には「架空優勝実況」をいくつか吹き込んでいる。こうした「架空実況」は当時評論家で、キー局・テレビ朝日の解説者だった野村克也から批判されたりもして、本人も「本当の優勝実況が一番です」と語っていた。1985年4月17日の甲子園球場での巨人戦での伝説の「バックスクリーン三連発」(ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布)の実況を担当していた。ちなみに、解説は藤田平。 そして、1985年10月16日、21年ぶりの優勝を決めたヤクルトスワローズ対阪神タイガース戦の実況(ラジオ)を担当し、ついに優勝実況の願いが叶った。優勝の瞬間の言葉をいろいろ考えていたが、結局出てきたのは「1985年度ペナントレース、阪神タイガースが制しました」という、アナウンサーらしい冷静な言葉であった。なお日本一を決めた同11月2日の西武ライオンズ戦(西武ライオンズ球場)は放映権の都合上実況できなかった。 |
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