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[ 1358] 大韓航空機撃墜事件 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E6%92%83%E5%A2%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、慣性誘導装置の設定ミスのためにソビエト連邦の領空を侵犯したために、ソビエト連邦の戦闘機により撃墜された事件。大韓航空はこの5年前にも航法ミスでソ連領空を侵犯し、ソ連空軍機に迎撃されている(大韓航空機銃撃事件)。
なお、この事件には、ソウル経由で日本へ帰国する途上であった日本人乗客も28人搭乗していたことや、日本の自衛隊が事件の様子をレーダーなどで観測・傍受しており、その傍受内容が国連安全保障理事会で公開されたなど、日本も深く関わっている。民間機を撃墜するというその無見識、無慈悲な行動から、冷戦下において日本をはじめとする西側諸国における反ソ連感情が高まる原因となった事件でもある。
事件の発覚当初、ソ連当局は撃墜の事実を否定していた。しかし上記のように、日本の自衛隊が稚内で傍受していたソ連軍機の生々しい交信の一部が国連安全保障理事会で公開されたことにより、その後公式に撃墜の事実を認めた。
007便はサハリン(樺太)沖に墜落し、日本の船が墜落現場に駆けつけたときは、既にソ連船がコックピットボイスレコーダー、フライトデータレコーダーなど遺品を回収していた。しかしながら、ソ連当局は「スパイ飛行説の反証となりうる可能性がある」という理由から、回収したことを長期間秘匿した。ソ連当局は回収後即座に分析を済ませ、スパイ行為説を否定する見解を1983年11月28日に極秘報告書として出していた。つまりソ連は、「スパイ機を撃墜した」という建前を崩さないため、国家の面子のために真相を封印していたのである。
『なぜ007便は航路を逸脱したのか』、『なぜソ連は民間機を撃墜したか』、という大きな謎が長らく解明されずにいたが、ソ連が崩壊するとともにロシア政府が、事故発生後にソ連海軍が回収したものの、その後回収したことを長い間隠しておいた007便のブラックボックスをICAOに提出した。ICAOはこれを高い解析技術を持つ第3国であるフランスの航空当局に提出、解析を行い、その結果をもとに調査の最終報告を提出した。
その内容は『航路逸脱の原因は、乱気流もしくは積乱雲回避のため一時的にヘディングモード(方位角モード。方位のみを指定する自動操縦)へ切り替えたままINSモード(外部情報に頼らず論理的な通過点を自機の受ける加速度等から推測してたどって行く航法)に戻し忘れたか、もしくはINSモードに切り替えたが、所定の航路から7.5マイル離れていたために作動しなかった』というものである。どちらが正しいかについては証言できる者が生存しておらず、もはや真相究明が不可能なために両論併記という形となった。
この最終報告は撃墜事件が発生してから10年余りも経って報告されたため、マスコミや大衆の興味も薄く、一般にはあまり広まっていない。その為に専門知識に欠ける多くのマスコミやジャーナリストによって、いまだに『原因は未解明である』と記述されてしまうことも多い。その為か、事件当時ソ連の発表したスパイ飛行説(後述)が、その後も『陰謀マニア』のみならず、『良識がある』とされる多くの西側のジャーナリストの間においてすら未だ根強い支持を得ている。
この様な状況が起こる原因には、多くのマスコミや「ジャーナリスト」が航空関連の知識に欠けており、航空事故やこのような航空関連の事件を理論的に分析、報道することすらできない上に、センセーショナリズムに陥り、いわゆる「陰謀説」に走りがちな現実や、ソ連政府による証拠隠匿のために最終報告が行われるまで10年近くかかっており、最終報告が行われた時点では既に事件への関心が薄まり、十分な報道がなされていないこと。更に下記のように、最終報告書も原本のみが渡されるなど、多くの遺族にさえも十分に事故原因が理解されていないという現実もある。
22:49 - アンカレッジの管制官に「ベセル」通過を報告。実際のベセルより22km北の位置であった。アメリカ空軍レーダーサイト「キングサーモン」の圏内であったが、これは管制権を持っていなかったため特に警告はしなかった。通常はこの後、最も北よりの北太平洋航空路であるR20(ロメオ20)に向かう予定だった。
03:26 - 007便、東京の管制官に急減圧の発生と高度1万フィートへ降下する旨交信をしたものの、雑音により途中で交信が途絶する。これ以降、セルコールによる呼び出しを含めてコールするが応答せず。
航路を外れた007便は自衛隊の稚内レーダー部隊により観測されていた。しかし、この時点で洋上飛行中(のはず)であった007便はATCトランスポンダから識別信号を発しておらず、自衛隊は007便を「ソ連国内を飛行する所属不明の大型機」として、その周りに飛行するソビエト軍戦闘機を、「迎撃訓練を行う戦闘機」として扱った。
これとは別に、陸上幕僚監部調査第2部別室(通称「調別」、電波傍受を主任務とする部隊)は、ソ連の戦闘機が地上と交信している音声を傍受。「ミサイル発射」のメッセージを確認したが、この時点ではソ連領土内での領空侵犯機に対する通常の迎撃訓練が行われていると考えており、実際に民間機が攻撃されていたという事実は把握していなかった。この録音テープは、のちにアメリカがソ連に対し撃墜の事実を追及するために使用するが、公式には日本政府からアメリカへの引き渡しは行われておらず、どのような経緯で渡ったのかは不明である。
撃墜直後、稚内のレーダー部隊は所属不明機の機影が突然消えたことを捉えた。しかし、行方不明機がいないか日本や韓国(大邱)、アメリカ(エルメンドルフ)、ソ連(ウラジオストク)の各航空当局に照会したところ、前記の3国からは該当機がないとの返答を受け、ソ連からは返答そのものがなかった。
撃墜30秒後、それまで007便を通信管制していた東京の管制に雑音が混じった007便からの呼び出しが入ったが、そのまま連絡が途切れた(急減圧により緊急降下する旨の交信の内容は、その後音声分析により判明)。付近の飛行機からも007便へは無線が通じず、30分後から遭難の可能性ありとして当局に捜索を要請した。
9月1日の朝の時点で、日本政府が大韓航空機が行方不明になったことを公式発表し、各国の通信社が東京発の情報として大韓航空機の行方不明を報じたが、「樺太に強制着陸」などの誤報も飛び交った。この様な報道に対し、ソ連は「該当する航空機は国内にいない」、「領空侵犯機は日本海へ飛び去った」と事件への関与を否定した。
アメリカは、この日の内にソ連が007便を撃墜したと発表。傍受テープも、雑音除去・ロシア語のテロップを付けた上で一部放送した(日本の軍事情報であるこのテープを公開することについて、中曽根康弘首相や後藤田正晴官房長官をはじめとする日本政府首脳は全く相談を受けていなかった)。
同日、これ以降療養生活に入り二度と再起することのないソ連のユーリ・アンドロポフ書記長の司会する最後の政治局会議が開催された。アンドロポフは会議の直前に撃墜事件について知らされたが、この会議では議題にならなかった。事件の拡大と共に、翌日アンドロポフの代役としてチェルネンコが司会した臨時政治局会議で対応について協議されたが、領空侵犯を計画的な挑発行為として非難することを決定しただけだった。
9月2日:ソ連のニコライ・オガルコフ参謀総長が「領空侵犯機は航法灯を点灯していなかった」、「正式な手順の警告に応答しなかった」、「日本海方面へ飛び去った」と発表した(後に、航法灯は点灯しており十分な警告は行われていなかったことをパイロット自身が証言する)。これに対してアメリカのロナルド・レーガン大統領はソ連政府を『うそつき』と非難した他、多くの西側諸国の政府がソ連の対応を非難する。
9月6日:国連安全保障理事会で傍受テープが公開された。この後、ソ連のアンドレイ・グロムイコ外務大臣は撃墜を認める声明を正式に発表した。
9月13日:緊急安保理事会でソ連への非難決議が上程されるが、常任理事国のソ連の拒否権の行使により否決。
この事件の最大の疑問点は、「民間機と認識した上で撃墜したのか」ということであるが、ソ連崩壊後に行われた、撃墜した戦闘機のパイロットのゲンナジー・オシポビッチや地上の指揮官に対するその後のインタビューの中で、『007便が航行灯を点灯していた』ことと、『パイロットも地上も、007便を民間機を装ったスパイ機と認識していた』ことが明らかになった。また、アメリカ軍が撃墜後のソビエト軍の地上基地同士の交信を傍受した中で、撃墜2時間後に「どうやら我々は民間機を撃墜してしまったらしい」という報告もなされていた。
これを裏付けるように、1976年に函館空港でのベレンコ中尉亡命事件でアメリカに亡命し、空軍顧問となっていたビクトル・イワノビチ・ベレンコ元ソ連空軍中尉は、事件当時、アメリカ国防総省の依頼で交信を解読し「領空を侵犯すれば、民間機であろうと撃墜するのがソ連のやり方だ。ソ連の迎撃機は、最初から目標を撃墜するつもりで発進している。地上の防空指令センターは、目標が民間機かどうか分からないまま、侵入機を迎撃できなかった責任を問われるのを恐れ、パイロットにミサイルの発射を指示した」と、1997年8月の北海道新聞のインタビューで証言している。
事件の調査のため日米ソが樺太の西、海馬島周囲の海域を捜索したが、ソ連は領海内への立ち入りは認めず、公海上での捜索に対しても日米の艦艇に対して進路妨害などを行った。その後、機体の一部や遺品など一部の回収物件は日本側へ引き渡されたが「遺体は見つからなかった」、「ブラックボックスは回収していない」と主張していた。
しかし、事件直後から機体の破片や遺体の一部が次々日本の沿岸に流れ着いていたため、この様なソ連の発表内容は当時から疑問視されており、実際、ソ連崩壊後に行われたイズベスチヤ紙の取材で、複数の遺体とその一部、数々の遺品が回収されていたことが明らかにされているが、その全てが証拠隠滅のために焼却処分にされていた。
また、ソ連崩壊前に日本テレビの『追跡』の取材で、樺太の地元住民が「極秘」と書かれたブラックボックスの回収指示書を政府から渡され、実際にその指示書と同じものを海中から引き揚げたこと、住民が密に持ち帰った部品が撃墜された大韓航空機のものであることが判明していた。この番組では、政府の許可を取って潜水艇により事故現場が撮影されており、遺骨の一部が撮影されていた。
また、ブラック・ボックスも実際には回収されており、モスクワに対して「スパイ飛行説の反証となりうる可能性がある」との報告がなされていたため、ブラック・ボックス回収の事実は、その後ソ連が崩壊し冷戦が終結する後まで完全に封印されていた。
しかしその後冷戦が終結したことを受けて、1991年11月にパリで行なわれた国際テロ対策会議においてオレグ・カルーギンKGB議長顧問が、「この事件の詳細を日本側に報告する」と佐々淳行元内閣安全保障室長に表明し、その後実際にロシア政府はブラック・ボックスを原因調査のために第3国(フランス)へ引渡した他、残された遺品の遺族たちへの引渡しを行った。
なお、ICAOの最終報告書は、日本の遺族には原本のコピーのみが手渡され、日本政府は『ICAOによる調査の中立性、一貫性を失う恐れがある』(1994年11月14日の村山富市総理大臣(当時)による答弁書)ことを理由に日本語への翻訳を拒否している。ボイスレコーダーの音声は、ジャーナリストとしては小山巌が初めてICAO本部へ出向いて聞き、著書『ボイスレコーダー撃墜の証言』に収録した。ブラックボックスの記録は捜査資料のため、基本的にマスメディアに公開されることは無いが、この事件の音声の一部が流出し、日本テレビの番組で放送されたことがある。
韓国や日本、アメリカなどの犠牲者を出した西側諸国では政府による正式な抗議のみならず、ソ連製品の不買運動など多くの市民によるソ連に対しての抗議運動が起こった。
アメリカはソ連の国営航空会社であるアエロフロート航空機のアメリカ乗り入れを無期限停止し、同じくパンアメリカン航空機のソ連乗り入れも停止した。
大韓航空は、遺族からの賠償請求には事件の原因の不可知論を理由に拒否したため、多くの遺族は和解に応じざるを得なかった。
ソ連政府によるブラックボックスの隠匿などの情報操作により、事件についての多くの疑問点が、ソ連が崩壊し冷戦が終結した1990年代まで解明されないままであった。このため、ソ連崩壊後にロシアによってブラックボックスの内容が公開され、『故意に領空侵犯をした』と言う説が完全に否定された後に行われたICAOによる調査で、航路逸脱の原因は、以下のいずれかであるという最終報告が提出された。
航路は、通過地点を順に慣性航法装置(INS)に打ち込むことで設定するが、経度のみ(もしくは、緯度のみ)がひとつずれて打ち込まれたのではないか、または、出発地の座標が誤って打ち込まれたのではないかなどとする説。
慣性航法装置は飛行前にジャイロを安定させる動作(アライメント)が必要である。この動作から実際のナビゲーションを始めるまでにスイッチの切り替えをするが、切り替え前に機体を動かしてしまったのではないかとする説。
航路に乗るまで方位角モード(HDG)で飛行し、航路に乗ってからは誘導モード(NAV)にするはずが、乱気流もしくは積乱雲回避のためにヘディングモード(方位角モード・方位のみを指定する自動操縦)のままINSモード(地理的に主要な場所に設置されている電波標識に向かって飛行する自動操縦)に切り替えが行われなかった、もしくは機械が切り替わらなかったとする説。実際に、切り替え忘れのため日本航空機が航路を逸脱しソ連軍のスクランブルを招いた事例がある。
なお、007便のボイスレコーダーには機長と副操縦士があくびを繰り返すのが記録されていることから、設定ミスもしくは切り替えミスに気づかなかった原因として疲労によるヒューマンエラーを指摘する声もある。実際、操縦士ら3人は、事故前にソウル→アンカレッジ→ニューヨーク→トロント→アンカレッジという勤務スケジュールであり、休養も取っていたが、小宮巌は著書で、『時差に疲れて休養を取るというのは、単に眠ればよいという単純な時間のつじつま合わせでは解決しない』と述べており、乗員らは時差ぼけが抜けきらなかった結果、注意力が散漫になったと主張している。
前述の通り、ソ連政府によるブラックボックスの隠匿などの情報操作により事件についての多くの疑問点が、ソ連が崩壊し冷戦が終結した1990年代まで解明されないままであった。その後のロシアによるブラックボックスの内容公開を受けて、ICAOが調査した最終報告『航法装置の設定ミスまたは故障説』が出て領空侵犯の原因が解明される以前に、「領空侵犯の原因」としてソ連の情報操作を受けて西側の一部マスコミや研究家の間でよく言われた説には下記のようなものがある。
ICAOによる最終報告やロシア政府による最終報告書への事実の裏づけが行われ、これらの『諸説』が完全に否定された現在になっても、一部のいわゆる「陰謀説派」によって、これらの説が真実かのように主張されることがある。
また、「陰謀説派」の一部からは、「大韓航空機の機長をはじめとする運行乗務員は事前にアメリカ軍基地でアメリカ軍によるスパイの訓練を受けていた」、「事故機は破損しながらもサハリン沖に不時着水し、一部の乗客と乗員は即刻処刑され、残りもシベリアの強制収容所に送られ今も強制収容所に入れられたままである」というような根拠が無い説や、「アメリカの保守派論客として知られていたラリー・マクドナルド上院議員は、処刑を免れたもののモスクワのルビヤンカ刑務所に送られ現在も収監されている」などという突飛な説がまことしやかに語られた。
アメリカ軍が同盟国である韓国政府および国営航空会社であった大韓航空に対し、ソ連極東に配備された戦闘機のスクランブル状況を知るため、もしくは、近隣で偵察飛行を行なうアメリカ空軍機に対するソ連軍機の哨戒活動をかく乱するために、民間機による故意の領空侵犯を指示し、事故機がこれに従ったとする説である。
撃墜事件直後のソ連政府が「非武装の民間機を撃墜した」ということによるイメージダウンを覆い隠すために、007便のブラックボックスを回収したという事実を隠してまでこの説を強硬に主張したほか、当時、アメリカ国内でもマスコミを中心に当局の陰謀の存在が議論されたが、ブラックボックスの内容や交信記録の音声が公開された現在では、当事国のロシア政府によってさえも否定されている。
「機長が元韓国空軍の軍人であり、この計画に従うことに躊躇しない」と言う説(アエロフロートやルフトハンザ航空、1970年代の日本航空などがでそうであるのと同様、当時の大韓航空のパイロットには元空軍軍人が多かった)。
単にスクランブルの様子を観測、もしくは哨戒活動を錯乱するだけのために果たしてアメリカ軍は民間人数百人の命をかけてまで領空侵犯を指示する意義があったのか(なお、当時の航空地図には、赤字で「ソビエト領内に侵入した場合、無警告で撃墜される恐れがある」と注意書きがされていた)。また、この様な計画が公になった際にはアメリカは人道面で国際的な非難を浴び信頼を失うのは確実であったはずで、そのようなリスクに見合ったメリットがあるとは考えにくい。
同じく大韓航空も、撃墜された上に自身が関与していたことが発覚することによって受ける金銭的、風評的ダメージは膨大なものであり、そこまでのダメージを受けてまでこの様な計画に与することは割に合わない(実際にこの事件後大韓航空の旅客は激減しただけでなく、遺族補償による金銭的ダメージが後々まで尾を引いた。また世界各国で社名と機体の写真が繰り返し放映されたことを受け、事件後に英語社名と機体塗装、社章の変更を余儀なくされている)。
また、大韓航空はこの5年前の1978年にもコラ半島のムルマンスク上空で航法上のミスにより(カードゲームをしていたために航路を逸れたと言う証言もある)ソ連領空を侵犯しソ連空軍機の迎撃をうけており、機体損傷に伴いソ連領内へ不時着、乗客2人が死亡し乗員乗客が長期にわたって拘束を受けるという事件を起こしている(大韓航空902便(ボーイング707))。いくら元軍人といえども、撃墜される可能性が高い飛行経路を数百人の民間人を乗せたままの旅客機で飛行することに全く躊躇しないというのは説明がつきにくく、実際に大韓航空機でスパイ行為をするのならば、乗客が搭乗しない上にスパイ機器を設置しやすいであろう貨物機の定期便で行うほうが効率もよい。
事件後に心理学者が交信記録の音声を分析したところ、機長も副操縦士も平常の精神状態であったと分析されており、戦闘機による追尾や警告射撃を受けていたことに気づいていたという点は見受けられなかった。
他機や地上からの無線による呼びかけに対して、電波状況などの理由により応答しないことは日常茶飯事であり、また、後続機がコースの逸脱に気づいていたという証拠も無く、後続機よりもコースの離脱に気づいている可能性の高い地上からの呼びかけには撃墜直前まで応答しているため、後続機からの呼びかけを意識的に無視していたとは考えにくい。
仮にスパイ飛行だとしても、007便はそれを隠蔽するための偽装を行った形跡がまったく残っていない。例として、ウェイ・ポイント(航路上の通過地点)の通過時刻が予定と毎回ずれているがそれをずれたまま報告している(ふつう通過時刻がそれほどずれることはない)、同一航路の他の便より低い気温を報告している(=北方へ逸脱している)など。また、蛇行した航路については、誤差を持ったレーダー記録の各点を線でつないだ結果の見かけのものだとする意見もある。
この説は、機長が燃料節約のために意図的に航路を北にずらし、スクランブルを受ける危険を承知でソ連領空を侵犯したとするものである。
当時の大韓航空機は航空運賃が安く(現在においても同様である)、燃料を節約することは機長の使命であったといわれていることが、説の根拠となっている。
上記のように、当時の状況におけるソビエト連邦領空への侵入は危険であることを当然機長もわかっていたはずであり、そこまでの危険を冒してまで領空周辺を飛ぶ、または領空侵犯を行う必要があったのかという疑問点が残る。
同じく上記のように、大韓航空はこの5年前の1978年にもコラ半島のムルマンスク上空で航法上のミスによりソ連領空を侵犯しソ連空軍機の迎撃をうけ、機体損傷に伴いソ連領内へ不時着、乗客2人が死亡し乗員乗客が長期にわたって拘束を受けるという事件を起こしている。仮に撃墜に至らずソ連領内に強制着陸させられたとしても、それが同社に与える損害は計り知れないものだということは分っていたはずである。
いわゆる「ハーシュ・レポート」。事件後の各国の対応を情報機関の内情にも突っ込んで取材し、コース逸脱原因についても考察。
いわゆる「イズベチヤ・レポート」。ソ連のグラスノスチに伴い、イズベチヤ紙が民間機を撃墜した理由を中心に証言を集め特集した。
ロシアがICAOに提出したブラック・ボックスをもとに解明された撃墜の様子・逸脱の原因・遺族のその後。

 

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