文芸とは?/ ディック
[ 453] 文芸ジャンキー・パラダイス
[引用サイト] http://kajipon.sakura.ne.jp/
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「人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても海全体が汚れることはない」(ガンジー) ・自由が欲しい時は他人に頼んじゃいけないんだよ、君が自由だと思えばもう君は自由なんだ(リチャード・バック)作家 ・過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから(アラン)仏哲学者 ・信じて騙されるのは、誠のものを疑うよりどれ程まさっているだろう(倉田百三)作家・自分を何も変えないで、ただ事態だけが変わればいいと思っているさまを狂気という(伊藤守)著述家・不当な目にあったことは、あなたがそれを覚えていない限りなんでもないことなのだ(孔子) ・解決できる問題をあれこれ悩むのはムダ、解決できぬ問題をくよくよ悩むのもムダ(映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』)・もっとも良い復讐の方法は、自分まで同じ行為をしないことだ(“賢帝”マルクス・アウレリウス)ローマ皇帝 ・愛されたいと願うのは愛したい気持ちが足りぬから(吉田拓郎)ミュージシャン・敗北を恥じてはいない。何回しくじろうと、そんなことは自分にとって問題じゃない。むしろ人間の本領は、何回立ち上がって前へ進むかだと思っている(ピピン)フリー・ダイビング選手・何もかもが失われた時にも未来だけはまだ残っている(ボブ・ガダード)著述家・生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる(村上龍)作家 3月1日〜仕事&墓巡礼で海外に出るため、4月7日までトップページの更新を一時お休みします!その間、既存の各コーナーを楽しんで頂ければ幸いです。40を迎えたこともあり、今回はこれまで墓参したくても遠すぎて不可能だった2人の人物、画家ゴーギャンと探検家ロバート・スコットに、感謝の言葉を伝えに行ってきます。ゴーギャンが眠るのは南太平洋マルケサス諸島のヒバオア島。タヒチ本島から地元のローカル機を乗り継いでいくことに。スコットの墓は南緯79度50分・東経178度、つまり南極の内陸部にあります。さすがにそこまでは行けないので(装備もスキルも財力もない)、南極海の沖合から、コンパスでスコット隊の墓がある方向へ遙拝するつもりデス。 /ゴーギャンは友人ゴッホと喧嘩別れしたことから、ゴッホLOVEの僕はゴーギャンに対して以前は良いイメージを持ってなかった。しかし文献を調べているうちに、ゴーギャンがすごく良い奴ということが分かって大好きに。ゴーギャンは西洋文明に疲れ果て、当時の欧州人には地の果て同然のタヒチに渡ったけど、それはゴッホ自殺の翌年であり、自責の念がゴーギャンにあったことも理由の一部と思ってる(ゴッホの弟テオにもお悔やみの手紙を出している)。ゴーギャンは芸術論でゴッホと衝突したものの、けっしてゴッホを嫌っていた訳じゃなかった。ゴーギャンは遠い異国の島でゴッホを懐かしみ、わざわざパリから(ゴッホが愛した)ヒマワリの種を取り寄せ自分で植えている。そして、かつてゴッホがゴーギャンにプレゼントした椅子とよく似た形の椅子を用意し、育てたヒマワリを置いて絵を描き、ゴッホ風に署名している。ゴーギャンは胸の奥底に、ずっとゴッホへの深い友情を抱いていたんだ。彼は一度パリに戻って個展を開いたものの、作品は酷評されて全く売れず、再びタヒチへ。そしてゴッホの死から10年後、孤独地獄の中でゴーギャンもまた自殺を試みる。だが大量に劇薬を飲み過ぎて体が拒絶反応を起こして吐き出し、倒れているところを発見された「私は落伍者だ。もはや自尊心すらない」。晩年の自画像には若い頃の野獣のような迫力はなく、達観した僧侶のように静けさをたたえていた。享年54歳。死の直前の手紙--「こと芸術に関しては私は正しかったと思う。たとえ私の作品が後世に残らなくても、絵画を解放した芸術家の記憶は永遠に残るだろう」。ゴーギャンは世間から無視されていたので、自分の作品が残らぬと思っていたのだ。絶対に墓に行って御礼を言わなきゃならない。 /ロバート・スコットは1ヶ月遅れて南極にやって来たアムンゼンに、極点到達の先を越され、失意のなか帰路で遭難死した。教科書には小さく載ってるけど、そこには胸を打つドラマがある。スコットは南極点の制覇を目指し、遠征資金を調達するために様々な人から援助を募っていた。その結果、彼の冒険は単なる極点制覇だけでなく、南極の岩石標本を採集するなど学術調査も同時に行なわれるようになった。当然、移動の速度は遅くなる。雪上車の故障、寒冷地用の馬の死など、想定外のアクシデントが起きたが、祖国(英国)の民衆、資金提供者たちの期待を考えると、極点を断念して帰るわけには行かなかった。最終的にスコット隊の5名は自分でソリをひいて徒歩で極点を目指した。だが、片道1300キロの道のりを耐えた彼らが極点で見た物は、アムンゼンが立てたノルウェーの国旗だった!スコットは到達前から雪上に犬ゾリの跡を見ていたらしく、2日前の日記に「最悪の予感がする」と書いていた。不安は的中した。アムンゼンはスコットより1ヶ月も早く極点に着いていた。「恐ろしい失望。忠実なる隊員諸君には、心から済まぬと思う。すべての夢は終った。帰路の辛さが思われる」。さらにスコットは極点で綴る「おお神よ、ここはただ恐怖の地なり。言語を絶する苦難の後、一番乗りの栄誉さえ報いられず、恐ろしさの極みなり。さらば白日夢のすべてよ!」。意気消沈した隊員を吹雪と異常気象の超低温が襲う。→ 凍傷がひどい2人の隊員が最初の1ヶ月で死んだ(1人は錯乱し「ちょっと外に出かけてくる」とテントから出て2度と戻らなかった)。残った3人はまる3週間も吹雪に襲われる。それでも死力を尽くして前進し、8分の7まで戻ってきた。食糧も燃料も危機的状況だったが、往路で作った貯蔵庫がすぐ18キロ先にあった。しかし、ブリザードはより激烈になり、テントから出ることさえ出来なくなった。半日だけでも吹雪がやめば、1トンも食べ物や燃料がある貯蔵庫まで行けた。--捜索隊が雪に埋もれたスコットのテントを発見したのは8ヶ月後。テントを掘り出すと変わり果てた3人がいた。川の字に並び、真ん中がスコットだった。最後まで生きていたスコットは、親友ウィルソンの胸に左手を置き、抱こうとするかのように死んでいた(スコットは43歳、ウィルソンは39歳。隊では最も年が近かった)。テントの周囲を掘り起こすと、重い岩石標本を載せたソリが出てきた。なんとこの状況でも、スコットは貴重な資料を運び続けていたんだ。捜索隊は3人をテントの布で覆って埋葬し、スキー板で十字架を作って弔った。南極の氷棚はゆっくりと海岸線に移動しており、あと200年すれば、スコット達の雪塚(墓)も、あれほど戻りたかった港・基地へ帰ることが出来る。スコットの日記の最後のページにはこう書かれていた-- 「私はこの冒険を悔いない。危険を侵したことは知っているが、物事にさえぎられたまでだ。私は満足している。良い人生だった」 //ルイ・アームストロングが歌いあげる『ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』(2分18秒)を聴きまくり。この全てを包み込む優しい笑顔がたまらない。目を見てるだけでウルウルくる。歌詞も最高!『♪緑の木々に赤いバラが見える/それは僕たちのために花開く/僕はしみじみ思うんだ/なんて素晴らしい世界かと/青い空や白い雲を眺める僕/明るく喜びに満ちた昼、暗く神聖な夜/そして僕はしみじみ思うんだ、なんて素晴らしい世界なのかと/七色の虹が空に美しく映え、行き交う人々の顔を染めている/友人たちが握手をして「ご機嫌いかが」と挨拶する姿が見える/彼らは心から言うのさ「アイ・ラヴ・ユー」と/赤ん坊が泣いているのが聴こえる/あの子たちが大きくなって/僕よりずっと沢山のことを学ぶだろう/思わず感動してしまう/なんと素晴らしい世界じゃないか/そうさ、僕はしみじみ思うんだ/嗚呼、この世はなんて素晴らしい世界なのかと!」。2分チョイの短い曲なのに、胸がジワ〜と温まり、歩き続ける力をくれる素晴らしい作品っすね。※影絵とのコラボ『Amazing Hand Shadow』(2分21秒)も泣かせます! ※コメント書き込み中のコーナーがまだありますが、毎晩血ヘドを吐き白目をむき昇天するまでキーを 叩いていますんで、堪忍して下さい。タイトルの“ジャンキー”とは虜になった者、中毒者のことです。現在準備中のコーナー…バレエ鑑賞入門、歌舞伎鑑賞入門、文楽鑑賞入門 ※頂いたメールは必ず読んでいますが、非常に件数が多いため返信は難しい状況です。どうかご了承下さいませ 本当に有難いです。勘違いしたまま一生を終えるところを、真実に気づくことが出来るからです。自分がひとりよがり 僕は確信している、人類は絶対に分かり合えると。そうでなければ、こんなにも多くの作品が、時代や国境を越え 芸術は生き続ける力をくれる。もう人生の選択肢がなくなった、行き詰まって打つ手がない、そう思ったときに文学 や映画を通して違う価値観、別の生き方の存在を知ることはいくらでもある。僕は何度もそうやって救われてきた。 |
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